engelico's blog

『上』から伝えられるメッセージに対して 私が「感じたこと」「思ったこと」「考えたこと」を投稿しています。

人として

 

自分は自分

他人は他人

しかし 

皆 同じ人である

 

人は それぞれ

己のメガネをかけて

世の中を見ている

 

だから 皆

同じ事象であっても

違った見解を持つ

 

このことは 一人一人が

異なった波長を持ち

その波長の世界で

生きていることの

証となるのである

 

そう 人は皆違うのである

だから違った考え方をするし

異なった意見をもつ

 

そのことで軋轢を

生むこともあるが

その違いこそが

世の中に変化をもたらし

様々なことが発展して

いくのである

 

確かに一人一人異なる

同じ人は この地上世界に

一人として存在しないのである

 

でも 

「人として…」という

考え方があることもまた

事実である

 

これは 一人一人異なるけれど

「人」というくくり方をした際

そこから逸脱した言動を

取った人に対して

使われる言葉である

 

「皆 違っていい」と

違いを認める反面

「違ってはいけない」と

いうのである

 

これこそが冒頭部分の

「皆 同じ人」

ということである

 

人であるには

やはり人であるために

守らなければならないことが

あるらしい

 

ルールは 時代や地域によって

異なるものである

 

以前は許された行為であっても

時代が変わると

非常識なこととして

罰せられたりする

 

でも この「皆 同じ人」

にあたる部分は

時代や地域や人種などを越えた

人として普遍的なことを

さしているのである

 

それは 

優しさであったり

思いやりであったり

愛情であったり

悲しみであったり

辛さであったり

苦しさであったりする

 

これは人として

感じることである

 

何に対して どのように

感じるかの差はあれど

優しさは

どの時代でも

どの地域でも 

どの人種でも

やっぱり 優しさなのである

 

皆 違う

確かに違う

でも 

同じように

感じることはある

 

この同じように感じることで

お互いが繋がることが

できるのである

 

だから 人は他人に対して

共感することができるのである

 

この共感するということを

人として

決して忘れてはいけない

 

これを忘れた場合

「人としてどうなの?」

ということになるのである

 

異国の地の人々に対して

この「人としての力」を用いて

自分にできることを考える

ということは

この時代に生きている

理由の一つなのかもしれない