engelico's blog

『上』から伝えられるメッセージに対して 私が「感じたこと」「思ったこと」「考えたこと」を投稿しています。

人生をかたちづくる一歩:自分の人生を客観的に考える

 

一歩は人それぞれ

一歩の歩幅を

問うてはいない

どのように一歩を

踏み出したかが

問われているのである

 

 

どれくらいは

さしたる問題ではない

どのようにが

問題なのである

 

人は長く生きようと

色々なことを試みる

 

しかし 

どれくらい生きたのかは

問題ではなく

どのように生きたのかが

問われるのである

 

 

 

確かに

人生は長さではなく

いかに生きたかが

問われるのでしょう

 

当たり前のことですが

どのように一生を送るのかが

重要なのにもかかわらず

何となく毎日を

過ごしているかもしれません

 

自分の一生を

どのように生きるかと

客観的に考えてみたことも

ないかもしれません

 

こうなりたいとか

こういうことがしたいなど

願望のようなものは

持ってはいても

自分の人生を

プロデュースするような

客観的な視点で

自分の人生について

考えたことは

ないかもしれません

 

どのように生きるのか

 

『上』が問いかける

この質問に対する答えは

自分の人生を客観的に見つめ

自分について考えなければ

答えは出ないような

気がするのです

 

「どれくらいではなく

どのように生きたいの」

 

そのように自分に

問いかけながら生きることで

自分に対してより真摯に

向き合えるようになるとともに

自分の人生の手綱を

自分の手でしっかりと

握ることができるような

気がするのです

 

 

チャネリングの際メッセージを伝えてくれる存在を

私は『上』と呼んでいます