engelico's blog

『上』から伝えられるメッセージに対して 私が「感じたこと」「思ったこと」「考えたこと」を投稿しています。

消極的な選択の弊害

 

昨日の「選択は0か100ではない」を

書きながら 思い出したことが

ありました

 

昔の人間関係ですが…

 

その人と一緒にいると

「自分はディスられているなぁ」と

感じることが 時々あったのです

 

いつも というわけでは ないですし

その人が わざと

ディスっているわけではないことは

私も分かっていましたし

そもそも

ディスられていることを

あまり深く考えないので

「ディスられているなぁ」くらいで

受け流していました

 

自分がそのように感じていることは

一切 相手には伝えなかったので

相手は 全く気がついていなかったと

思います

 

ここでも 私は消極的な選択を

していました

 

ディスられているように感じていると

相手に伝えたら 

きっと 相手との間に わだかまりができそう

 

そのような雰囲気には なりたくないので

ディスられていると感じている自分に

「しー」と言って黙らせていました

 

でも この行為は いじめがあるのに

見て見ぬふりをするのと同じように

そのことに気がつかないふりを

していただけだったのです

 

私の中にはディスられていると

感じている私がいるので

その人と会った後は

いつも モヤモヤした気持ちに

なっていました

 

自分がどのように感じているかを

伝えることは 決して

相手を非難しているわけではない

 

非難していないということを

相手に伝えつつ

自分の気持ちを伝えることは

できないことではなかったはず

 

でも 気まずくなると

勝手に自分で決めてしまい

消極的な選択をしていました

 

結局 「しー」と言って黙らせても

私の本心はディスられていると

感じていたため

いつの間にか その方と

距離を置くようになりました

 

その人とずっと親しくしていきたいからこそ

自分の気持ちを伝える

 

その結果

相手がそのことを不快に思い

私から離れていくということに

なるかもしれませんが

それは 致し方ないこと

 

仮に 相手が私から離れていったとしても

結局 自分から距離を置くという

結果に至ったわけですから

気持ちを伝えても 伝えなくても

結果は同じ

 

もし 私が消極的な選択をしなければ

相手が私の気持ちに理解を示し

今まで以上に その人と親しくなるという

可能性は0(ゼロ)ではなかったはず

 

消極的な選択をすることで

私はその人と今まで以上に

親しくなれたかもしれない機会を

失っていたのでした

 

どのような結果になったとしても

消極的な選択をするよりは

色々なことを経験し

学ぶことができたはずです

 

消極的な選択の弊害を

またまた 見つけてしまいました