engelico's blog

『上』から伝えられるメッセージに対して 私が「感じたこと」「思ったこと」「考えたこと」を投稿しています。

「善と悪」との向き合い方

 

本日のブログに何を書いたら良いのか

わらないままパソコンの前に座って…

 

何のアイディアも浮かばなかったので

「今日は何を皆さんにお伝えしましょうか?」

と上に助けを求めてみました

 

その結果が 以下のメッセージです

私的には「いつもメッセージを伝えてくれる存在」と違う方?のように感じます

 

いつもと違う初めて聞く新鮮な言葉遣い

助けを求めてみるものですね 

 

 

すべての人々の

心の中にある 様々な葛藤

それは一見 善と悪との

戦いのように思えるのかもしれない

 

しかし こちらの世界において

善も悪も そのような概念すら

存在しえないのである

 

そもそも 善と悪という概念は

あなた方がいうところの

悪から発生しているのである

 

我々の世界には すべてが必然

つまり一見 悪と見えることであっても

その裏を返せば その事象の

存在意義とでも申しましょうか

その出来事が起こるための

必然というものが

隠れているのであります

 

つまり 善や悪という紋切り型で

この世に起きうる事象を

判断することはできないのでございます

 

あなたの内々にある 

一見すると善と見受ける事象も

見方を変えれば悪とも取れる

 

このように物事は 

表裏一体というような

単純な構造をしているわけではなく

複雑に様々な要素・要因が

絡み合っているのでございます

 

即ち 一見すると

悪人と思われる人物にも

その存在意義があるわけでして

その存在意義を理解することは

たとえ 出来なかったとしても

その存在意義について

考えるという行為は

あなたを寛容の世界へと

導くのであります

 

その寛容の世界の先には

「許し」という魂の学びが

待っているのであります

 

善と悪というように

平面的に物事を見ている限りは

この「許し」の学びを体得するのは

困難となるのです

 

物事を善か悪かで判断してしまうと

それ以上の考察へとあなたは進むことが

出来なくなってしまうのであります

 

様々な考察があなたをより深淵な

思考の旅へと誘うのであります

この思考の旅こそ 

あなたに魂の学びを

もたらしてくれるのであります

 

さぁ あなた自身の魂の学びのために

物事を考察し 自らを思考の旅へと

誘おうではありませんか