少々手荒なことを申すが
耳を傾けていただきたい
今 目の前で起きていることに
心が動かされぬのなら
自らのこととして
もう一度考えてみては
いかがであろうか
人は自分が経験しないと
本当の意味での理解に
及ばない
それでは 学びは進まない
人が経験している出来事を
どれだけ我こととして
心を寄せることができるかが
その人の学びの速度を
決めるのである
人は想像する頭を
与えられている
その頭は より良い世界を
作り上げるために
与えられたものでもあり
他者に心を寄せるための想像を
するために
与えられたものでもある
そのように頭を使っている者が
今の世に どれくらい
存在しているのであろうか
以前 友人に
「頭の使い方」について
指摘を受けたことがありました
それまで
頭をどの様に使うかなんて
考えたこともなかったので
友人の指摘は私にとって
まさに 目から鱗でした
今日のメッセージは
友人が指摘してくれたように
「どの様に頭を使うか」に
ついてのものです
私たちに与えられた頭は
より良い物を創造するために
使うものであるのと同時に
より良い世の中にするために
使うものでもある
自分が経験できることは
限りがあります
他者の痛みや苦しみ
そのものを理解することは
できませんが
少しでも理解しようと
想像することはできます
そして
寄り添うこともできます
その経験から何かを感じ
何かを学ぶことも
きっとできるでしょう
それは自分が実際に
経験したことからくる
学びではありませんが
学びの進度に影響を
与えるのでしょう
世の中で起きていることは
決して他人事ではなく
たとえ遠く離れていても
たとえ何もできなくても
寄り添い想いを馳せることで
何かを学ぶことができる
今日のメッセージは
そのようなことを伝えている
のかもしれません
愛の反対は無関心
想いを馳せるということは
無関心ではないということ
愛を伝えるということに
通ずるのかもしれません