engelico's blog

『上』から伝えられるメッセージに対して 私が「感じたこと」「思ったこと」「考えたこと」を投稿しています。

反省しないということは

 

『上』に 

「魂の学びにとって

必要なことは何ですか?」

と聞いてみました

 

チャネリングの際メッセージを伝えてくれる存在を

私は『上』と呼んでいます

 

すると

反省

という答えが返ってきました

 

死後 自分の人生を振り返るとは

聞いていましたが

生きている間も

反省が必要なようです

 

「過ぎたことは全て忘れる

だから反省しない」

という人がいます

 

過去を振り返ったところで

何も変えることはできないから

反省もしない

ということのようです

 

その人にとっては

今や未来が大切で

過去はどうでも良い

のかもしれません

 

確かに 変えられるのは 今

だから過去にとらわれないという

生き方は素敵だと思います

 

しかし そのような人は

いつも同じような出来事に

直面しているように思います

 

その人が 出会う人や

行っていること 状況などは

そのつど変わっているのでしょうが

その出来事の根本には

いつも同じような問題が

隠れているように思えるのです

 

私たちは 魂の学びとして

向き合わなければならない課題を

いくつか抱えながら

この世に生まれてきます

 

課題は

向き合わなければならないことなので

必須科目のようなものです

避けたり 逃げたりすることはできません

 

反省しないということは

何が原因で 

そのことが起きたのかについて

考えないということです

 

考えないということは

対策を講じないということ

つまり 次に同様のことが起きても

前回の経験を活かせない

ということです

 

『上』のルールとして

課題に向き合うまで 

その課題は与えられ続けます

そして 向き合うように

配慮してくれるので

向き合わざるを得ないような状況に

追い込まれていきます

 

それでも「なぜ?」と考えなければ…

 

死ぬまで

「課題と向き合うという課題」が

提供され続けるのです

 

反省しない人の魂も

他にも向き合おうと思っていた課題や

経験しようとしていたことを

決めていたはずです

 

今生で 課題に向き合わなかった結果

学ぶべき事や学ぼうと思っていたことを

学ぶことなく その人生を終えることに

なるのです

 

ひょっとすると

そのような人は「向き合うべき課題に

向き合わないと どのようになるかを

その一生で学ぶことが課題」

なのかもしれませんが…

 

反省しないということは 

魂の学びにとって

かなりの損失となるようです

 

「過去にとらわれず 今を生きる」

という生き方も

一つの生き方だと思います

 

いつまでも過去に

しがみつく必要はありませんが

 

「過去の経験から学ぶ」

という生き方も

また あるように思います

 

その選択は 私たち一人ひとりに

任されているのだと思います

 

正しい生き方も間違った生き方も

ないはずですから

 

チャネリングをして聞こえてきたメッセージは

 

内に記載しております