人間というものは時として残酷になりうる存在なのです
それは自分というものを完全に把握することができていないからなのです
また把握できない以上に自分自身をコントロールすることがとても苦手な存在なのです
そのことを理解できていない人が多数いるのです
まずは自分という存在は自分自身を把握することがかなり苦手でそれ以上に自分自身をコントロールすることができないということを理解することからはじめましょう
そのことが理解できていれば自分は時として残酷な感情を抱くことがありうるということを受け入れやすくなるでしょう
残酷であることになぜ気を付けなければならないかというと残酷であることは決して良いことでないのは私が改めてお伝えするまでもないと思いますが残酷であることは何よりも自分自身の魂を傷つけることになるからなのです
自分自身の感情を傷つける以上にもっと深くご自身を傷つけることになるのです
残酷であるためには時間が必要になるのです
時間が必要というのは残酷であるためには一瞬の感情の変化では人は残酷にはなれないのです
一瞬の感情の変化であればそれは例えば怒りのように瞬間的に沸き上がりそして消え去っていく性質の感情は瞬間的であるためにあまり後を引かずに済むのです
もちろんそのような感情を抱くことは決して褒められることではありませんがあまり時間を要せずに自分の感情を手放すことができるのです
一方残酷であるためには一瞬の感情の爆発だけでは済みません
自分の感情を確認しつつ時間をかけてどのようにしたら相手が苦しむのか辛い思いをするのかを用意周到に考えそして行動に移すのです
その間何度も自分の感情や行動を顧みる機会を与えられるにもかかわらずそれを振り切り行動に移すのですから覚悟の上での行動とみなされるのです
そのような場合はその人生で残酷であったことの清算を行うことはできません
肉体から離れた後残酷であったことを反省し何度もやめることができたにもかかわらず自分がその時抱いていた感情を手放そうとせずそれどころか自らが推し進めてしまったということを突き付けられるのです
それは大変に辛い作業になるのです
そして次の人生でも同じようなシチュエーションのもと同じような思いの中違う行動を取ることができるかという試練を受けなければならないのです
また反対の気持ちを知る必要がある場合はあなたが残酷なことをされなければならないのです
このような連鎖に陥らないためにも残酷であることはお勧めいたしません
このような負の連鎖は残酷であることだけではありません
マイナスの感情を抱き続けその感情を満たすために何らかの行動を起こすということ全てがこの負の連鎖に入り込むことになります
一瞬の感情の爆発のコントロールができないということとは比べ物にならないということをおわかりいただけましたでしょうか
マイナスの要素を含んだ感情でも様々なものがあるのです
人間である以上様々な感情を抱くことや行動をとることは学びに含まれています
しかしその中には避ける方が良いものもあります
できることならばそのようなものを回避するに越したことはないのです