
「経験を通して物差しを広げる」を投稿しました
経験を意味あるものに - Blueprint ブループリント
日を改めて文章を読み返してみると
自分が「物差し」という言葉を使って
表現したことについて疑問を感じました
きっと 無意識に
言葉選びをした結果なのでしょうが
なぜ「物差し」だったのか
なぜ「物差し」でなければならなかったのか
共感力について表現したいのなら
共感できる「器」の大きさなど
他にも表現の仕方があるのに…
なぜ「物差し」なんだろう
どうでもいいと言えばどうでもいい
取るに足らない小さなことですが
なぜか 私はこの「物差し」という
自分の言葉選びに興味がわいたのです
私があの文章を書いた時
頭の中に浮かんでいたのは
何かを測るというイメージでした
ですから「物差し」だったのですが
何を測ろうとしていたのだろう
経験を積むことで経験値という
値が増えることを「物差し」のメモリに
重ね合わせたのでしょうか
でも その先に何かがありそうで
自己観察をしてみることにしました
すると
私は自分が経験したことについて
人に話をする時 自分が聞き手に
ジャッジされているのではないかと
感じていることがわかりました
私が取った行動を判断されたり
評価されたりするのではないか
と思っている私がいました
出来事に対して私の取った行動に
評点がつけられると思っているため
点数が計られる→はかるもの→定規と
脳内で変換されたようです
学校教育を受けてくる中で
いろいろなことが
点数化されてきたからなのでしょうか
あまりにも無意味な この脳内変換に
開いた口が塞がりません
我ながら呆れ果ててしまいました
ただ このような思考が
私の中にあるということは
人の話を聞く際
私が同様のことを人に対して
行っている可能性があるのです
物事の受け取り方は人それぞれです
同じ出来事でも
楽観的にとらえる人もいれば
辛く感じてしまう人もいます
人が経験したことを
他人の私が評価するようなことは
絶対にしてはいけない
できるだけ ジャッジをせずに
フラットな状態で聴くように
心がけなくては…
自身の行動や思考のあり方を
いま一度 振り返ろうと思いました
「物差し」という言葉に引っかかったのは
気をつけろよ!という
私自身からのアラート
だったのかもしれません